GW前半を使用して実家のある宮城に帰ってきました。
実家は宮城でも市街地で
周辺の被害は殆ど無いとの情報。
当初は新幹線で帰省予定でしたが
なにやら色々トラブル中につき車でゴーです。
使用した東北自動車道は
宇都宮周辺までは釣りで使用していましたが、
福島県に入ると補修の跡が目立ちます。
加えて路肩には崩れた跡も。
しかし
高速を降りて国道~実家周辺はまったく普通。
ガソリンも売ってるし、
立ち寄ったコンビニも商品揃ってます。
「津波被害受けて無いところは大丈夫なんだな~」
なんて思ってました。
実家で両親や親戚と話しても
震災時は物資が不足したものの
影響はほとんどなしとのこと。
でも実は
それは旧国道沿いのこの辺だけで
最近開発した地区や元々田んぼや沼だった地区は
液状化現象で通行止めの道路があったり
瓦が落とされた家があるとのことでした。
「仙台東部道路走れば津波の被災状況見れるよ」
と従兄弟からの情報で
父親とともに仙台港まで車を走らせました。
震災時から宮城に居た父親も
沿岸部に足を運んではいませんでした。
是非この目で見ておきたいと思っていましたが
実際現状を見ると思考が止まります。
釣りに行く時や4号線の渋滞回避によく使用した
浜沿いの道路周辺は
多くの人を飲み込んだがれきの山。
重機がたくさん動いてましたが
あきらかに足りない感じでした。
そして
モトクロスを始めたころにコースのあった仙台港。
20年以上前は毎週のように通ってました。
道路は清掃されて通れるようになっていましたが
壊された建物や街路樹に引っかかった乗用車は放置。
しかし港脇にあるガソリンスタンドやコンビニは既に営業。
車も多く走っていて、フェリーも運航しているようでした。
この回復力には感動しましたね。
帰り道
「あの日、釣りに行ってたらダメだったな」と父。
それには私も同意でした。
子供の頃は父と祖父と毎週海釣りでした。
これまで宮城県、とりわけ仙台地区には
津波警報が出ても50cmとか。
あの大地震でもすぐに避難はしなかったでしょう。
万が一の事態に備えることの重要性を再認識させられました。
親戚の子供達も
「地震の時何処にいたの?」
と1カ月以上経つ今時点でも地震の話題ですが、
遊び出せば以前の笑顔です。
元気に遊ぶ姿を見ると
こちらも気が晴れますね。
被災地のニュースを見ていると
東北全体がめちゃくちゃのようですが
市街地は通常を取り戻しています。
被災地が通常を取り戻すためには
東北の経済を回す必要もありますよね。
観光でも友人のところへでも
東北に是非出かけてみてください☆
2011年5月2日月曜日
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