あの時は全て悪夢と思いたかった
地震発生から一年が経ちました。
最近
解禁とばかりに
津波の映像が登場していますが、
あれがかなりつらいのです。
宮城県出身の私の肉親や親戚は
幸運なことに全員無事でした。
しかし、
友人の家族は津波に飲み込まれてしまいました。
宮城県名取市の海岸沿いに実家を持つ
友人の奥さんはお母さんとお兄さん
そして多くの親戚を失いました。
当時直後に連絡した時、友人の返事は
「今、うちはだめだから」でした。
その友人は内陸側に住んでおり、
「とりあえず家族は無事だよ」
の答えを聞いて電話を切りました。
5月に実家に帰った時も友人の携帯に電話した程度で
会うことまではしませんでした。
そしてお盆。
友人が少々笑える(本人以外ですが)病気で入院してくれて
見舞いに行った際に友人の奥さんと
震災後初めて話しました。
何気ない世間話の後に
特にきっかけも無くそのときの話になりました。
実家は全て流されて何も残らなかったこと。
なかなかお兄さんの遺体が見つからなかったこと。
流された実家跡で「帰ってこーい」と
大声で叫んだ数日後に遺体が確認されたこと。
淡々と、時折冗談を交えながら話してくれました。
普段はかなり気持ちを前面に出す奥さんです。
ここまで冷静に話せるようになるまで
本当に大変だったと思います。
お兄さんとは一緒にクロダイ釣りに出掛けたこともありました。
頼りになる、いいお兄さんでした。
小学生からの友人はお母さんを亡くしました。
私もよく遊びに行っていたので
いつも笑顔で出迎えてくれる
ほんとうに明るい、いいお母さんでした。
友人からこの事を知らされた時
神様って本当に居ないんだなと感じましたよ。
助けて欲しかった。
その時そこに居たというだけの偶然で
命まで失われてしまうなんて。
それでも
震災直後はこれが現実味が無く
なにか夢のような感じだったんですよね。
それが時間が経ち、
お盆、正月と友人達と会い話すことで
この不幸が現実であることを理解します。
そうなると
あの津波の映像がつらいのです。
その時のことを想像してしまいます。
肉親を失った彼らは
当然私以上のつらさがあるでしょう。
今日のTV放送を見ている限りでは
気遣って戴いているように見えますが、
津波映像の時間を短くするなど
できれば今後も気遣いをお願いしたいですね。
お亡くなりになった皆さまの
ご冥福をお祈りいたします。
2012年3月11日日曜日
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