2011年5月31日火曜日

防水マイク構造

先日
防水マイク特許に関してのお問い合わせで

「構造の絵が載っていませんね」

とのお話がありました。

たしかに出願時には載せていたのですが、
審査中に権利を取得するまで伏せようと考えて
そのまま忘れていました^^;


その特許権を取得した構造がこれです。


一般的な携帯電話に使用されるコンデンサマイクの改良型で
図中番号は以下を示します。

1 スペーサ
1w 防水構造
2 防水2次振動膜
3 バックアップリング
10 ケース
101 スペーサ
103 スペーサ
104 振動膜
105 絶縁リング
106 背極板
107 ホルダ
108 ICチップ
109 回路基板
110 電気的接続(背極板-IC)
111、112 電気的接続(IC-機器回路基板)

*百番代は一般的な構造を示しています。


基本的には2次振動膜構造を使用し、
振動膜と防水2次振動膜の間にバックアップリングを設定することで
大きな外圧から振動膜を守ることが出来ます。

そして外圧が通常圧に復帰すれば
元の機能に復帰することが出来る設定です。


・防水構造を持つスペーサ
・防水2次振動膜
・バックアップリング

この3つを旧来のコンデンサマイクに加えることで
大幅な防水性能の改善が可能になります。


このように
本防水マイク特許は
入り組んだものではなくシンプルです。
他の権利にも絡まないかと考えます。


携帯電話等で使われる場合の構造としては
こんな感じに。



13 Oリング
15 電子機器ケース
16 電子機器回路基板


メーカーの皆さん
是非ご検討をお願い致します^^>

2011年5月17日火曜日

3月15日

もう2カ月前になる
地震発生4日後のこの日、
原発が危険な状況だとのことで
無職だったこともあり
なるべく外出はしないつもりでいました。

ところがなんと
レンタルDVDの返却を忘れていて
「すぐには飛んで来ないかな~」
ぐらいの軽い気持ちで
一応マスク着用で外出。

帰り道、レジ大渋滞のスーパーにて買いもの。

自転車で15分程度走行して
買い物と併せ1時間弱の外出でした。

この時の風向きは強めの北風・・・


そして

翌日から喉に違和感が発生。
3日後には腫れが首の根元周辺に移動し
喉を圧迫される状態が2週間続きました。

すぐに放射線の影響かと思いましたが
発表される数値は低め。

「偶然喉に異常があったのかも」
なんて思って終了でした。


腫れもおさまり
この事を忘れかけていた今週、
さりげなくNHKニュースの背景に使用されていた
3月15日のSPEEDI(スピーディ)映像に驚きました!!!


*映像は私の見た背景に使用されたものと同じで
 4月に一瞬表示されたものだそうです。


あの日
1~10mSv(ミリシーベルト)という
高濃度の放射能をもつ粒子が
関東圏に飛散していたのですよ><


喉の根元と言えば甲状腺周辺
喉では無く甲状腺が腫れていた可能性もあります。

酷い話ですよ。
巨額の税金使って計算した結果なら
このタイミングで外出禁止令でしょう。


そして今
福島原発からは1,2,3号機揃って
既にメルトダウンの情報。

本当に避難区域は30キロ圏内で大丈夫なんでしょうか?
また何かの拍子に爆発が起きて
そのときにたまたま風が強かったら。。


スピーディーに情報が出てこない日本のSPEEDIですが、
海外の気象サイト等では
リアルタイムの予測が発表されています。

風向きと雨のタイミングに気を付けて
自分の身は自分で守りましょう♪

2011年5月2日月曜日

宮城帰省

GW前半を使用して実家のある宮城に帰ってきました。
実家は宮城でも市街地で
周辺の被害は殆ど無いとの情報。

当初は新幹線で帰省予定でしたが
なにやら色々トラブル中につき車でゴーです。

使用した東北自動車道は
宇都宮周辺までは釣りで使用していましたが、
福島県に入ると補修の跡が目立ちます。
加えて路肩には崩れた跡も。

しかし
高速を降りて国道~実家周辺はまったく普通。
ガソリンも売ってるし、
立ち寄ったコンビニも商品揃ってます。

「津波被害受けて無いところは大丈夫なんだな~」

なんて思ってました。

実家で両親や親戚と話しても
震災時は物資が不足したものの
影響はほとんどなしとのこと。

でも実は
それは旧国道沿いのこの辺だけで
最近開発した地区や元々田んぼや沼だった地区は
液状化現象で通行止めの道路があったり
瓦が落とされた家があるとのことでした。


「仙台東部道路走れば津波の被災状況見れるよ」

と従兄弟からの情報で
父親とともに仙台港まで車を走らせました。

震災時から宮城に居た父親も
沿岸部に足を運んではいませんでした。


是非この目で見ておきたいと思っていましたが
実際現状を見ると思考が止まります。


釣りに行く時や4号線の渋滞回避によく使用した
浜沿いの道路周辺は
多くの人を飲み込んだがれきの山。

重機がたくさん動いてましたが
あきらかに足りない感じでした。


そして
モトクロスを始めたころにコースのあった仙台港。
20年以上前は毎週のように通ってました。

道路は清掃されて通れるようになっていましたが
壊された建物や街路樹に引っかかった乗用車は放置。


しかし港脇にあるガソリンスタンドやコンビニは既に営業。
車も多く走っていて、フェリーも運航しているようでした。
この回復力には感動しましたね。


帰り道
「あの日、釣りに行ってたらダメだったな」と父。
それには私も同意でした。
子供の頃は父と祖父と毎週海釣りでした。

これまで宮城県、とりわけ仙台地区には
津波警報が出ても50cmとか。
あの大地震でもすぐに避難はしなかったでしょう。

万が一の事態に備えることの重要性を再認識させられました。


親戚の子供達も
「地震の時何処にいたの?」
と1カ月以上経つ今時点でも地震の話題ですが、
遊び出せば以前の笑顔です。

元気に遊ぶ姿を見ると
こちらも気が晴れますね。


被災地のニュースを見ていると
東北全体がめちゃくちゃのようですが
市街地は通常を取り戻しています。

被災地が通常を取り戻すためには
東北の経済を回す必要もありますよね。


観光でも友人のところへでも
東北に是非出かけてみてください☆